『佐藤満春』さんは現在テレビ、ラジオ、You Tube、放送作家、更に書籍を出版されたりと様々な分野で活躍していらっしゃいます。
今回は現在の『佐藤満春』さんに至るまで、その軌跡について色々と調べてみました。
- 佐藤満春の本名は?
- 佐藤満春のお嫁さんについて
- 佐藤満春の年収がすごい!?
佐藤満春の本名は?
では早速、佐藤満春さんのプロフィールを見てみましょう。
- 本名:佐藤満春
- ニックネーム:サトミツ
- 1978年2月17日生まれ、O型
- 出身地:東京都町田市
大学は桜美林大学文学部中国語中国文学科を卒業しています。
中学1年生でラジオを聞き始め、ニッポン放送『伊集院光のoh!デカナイト』が生活の支えになるほどハマったそうです。
お笑い番組やライブを見るようになり、ネタを考えて文化祭で披露するようになりました。
大学でもネタを書いて友人と学園祭で披露したり、素人のライブに参加していました。
また誰にも聞かせない自らのラジオ番組をカセットテープに録音していたそうです。
好きなのはラジオ、お笑い、サッカーぐらいで興味も特技も才能も凡人だと諦め、消去法でお笑い芸人になってラジオの仕事に就くことを目指します。
佐藤満春は「どきどきキャンプ」のじゃない方?
大学卒業から1年後の2001年、創価大学の落研に入っていた知り合いの紹介で岸学(きし まなぶ)さんと出会いました。
そしてお笑いコンビ『どきどきキャンプ』を結成、2005年にケイダッシュステージに所属しました。
2008年フジテレビ『爆笑レッドカーペット』で岸が『24ーTWENTY FOURー』のジャック・バウアーのマネをするネタで大ブレイク!
この頃サトミツは「ジャック・バウアーじゃないほう」と呼ばれていました。
2010年雨上がり決死隊のトーク番組、テレビ朝日『アメトーーク!』で「じゃないほう芸人」で出演しています。
これまでも岸のキャラを活かしたコントをしてきたことから「じゃないほう芸人」と呼ばれることは褒め言葉だと思っていたそうです。
アルバイトも辞めることができ、テレビにも多く出演するようになりました。
他の若手芸人と比べてうまく立ち回ることができず結果を残せないことに悩んでいました。
マネージャーに「あんまりテレビ出たくない…」と言ったこともあるそうです。
でも面白いことは大好きで、ずっと携わっていたいと思っていました。
『佐藤満春』は当時を振り返って語っています。
当時は1ミリも求められていなかったけど、自分が持っているクリエイティブな部分や創造意欲をどこかで求められていると。
自分にあったタイミングや場所があるはず!と信じていました。
だから吐きそうになりながら、どこに出すわけでもない演劇やコントの台本を延々と書き続けていました、と。
佐藤満春とオードリー
オードリーの若林正恭とは事務所に入ったころから仲がよかったそうです。
まだお互い売れていなかった頃からオードリーのライブの手伝いをしていました。
若林さんのネタ作りに立ち会い、漫才の稽古で春日役をしたり、「オードリーのブレーン」と呼ばれていました。
春日さんに結婚相手を紹介し、若林さんが同棲している女性との引越を手伝うなど2人のエピソードは多く知っていると。
世にウワサが出るまでお互いのコンビですら知らない事を知っている、オードリーの若林正恭と春日俊彰さんとは親友だと。
もともとラジオに憧れがありラジオの仕事をしたいと強く願うようになり、中学の時のように原稿を書いたり録音したりしていました。
2009年10月ニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』が始まりました。
2回目の放送時に頼み込んで見学した時、当時『伊集院光のoh!デカナイト』の番組構成していた藤井青銅氏に自分のこれまでの思いの経緯を話しました。
見習いとして毎週収録に参加するように誘われ、手伝う内に番組の会議にも参加するように。
最初は誰も話を聞いてくれませんでしたが、アイデア勝負だから少しでも結果が出せれば企画も通るようになっていきました。
2010年ラジオ『オードリーのオールナイトニッポン』の構成作家に。
2011年テレ朝チャンネル『オードリー春日のカスカスTV』でテレビの構成作家としてデビュー。
2012年4月日本テレビ放送『たりないふたり』(南海キャンディーズの山里亮太さんとオードリーの若林正恭さんの番組)
最初は仕事として参加したのではなく、おもしろそうだから見学させてほしいとお願いしました。
打ち合わせ中ふたりが無意識に漫才を繰り広げる中、誰にも頼まれたわけではなくそのセリフをノートパソコンに打ち込んでいたそうです。
さっきまで熱弁を繰り広げたふたりが、なにしゃべったっけ?と言ったタイミングで原稿を印刷して出しました。
あの場で最大限できることは、ふたりの会話を文字に残して置くことだったんです。
全然クリエイティブじゃないかもしれないけど喜んでくれて少しでもチームに貢献できたんだと、やりがいを感じました。
山里亮太さんはのちに、とにかく話をまとめるのが上手い!と絶賛するほど信頼を寄せています。
この頃から人との繋がりで少しずつ放送作家としての仕事が増えていき『佐藤満春』が作られていきます。
佐藤満春と掃除
2005年テレビ朝日『虎の門』という深夜番組でのこと。
ネタコーナーの優勝特典(?)として井筒和幸監督の映画評論コーナーに出演。
ただ吉祥寺の映画館で40代の男が『硫黄島からの手紙』を食い入るように眺めて感想を話していました。
その番組を見ていたオードリーの若林さんに「異常だったよ!」と言われました。
「なにが異常かって、芸人が普通に映画の感想をしゃっべて、あそこまで違和感ないのはすごい!」
普通はボケろ!ってツッコまれるところをただ情報を話すだけなのに違和感がまったくなかったようです。
親友である若林さんにそう言われてから、バラエティー番組で自身の趣味であるトイレの研究や掃除の豆知識を披露したそうです。
するとたんたんとしゃべっていて、なんか面白い!と少しずつ周囲から評価されるようになりました。
始まりは2002年『プロジェクトX』(NHK総合)で放送された温水洗浄便座の開発秘話に衝撃を受けたことでした。
そこから自身で勉強し知り合いの掃除業者の仕事場にボランティアで体感し、掃除全般に興味を広げっていったそうです。
今では一般社団法人トイレ協会の会員となり「名誉トイレ診断士」「掃除能力検定士5級」「トイレクリーンマスター」などの資格を持っています。
「トイレ博士」を名乗り、トイレや掃除に関する書籍も複数出版しています。
そしてラジオやテレビの番組で、トイレや掃除に関する専門家として出演しています。
トイレバンド「サトミツ&ザ・トイレッツ」を結成、初ライブ、CD発売、アルバムメジャーデビュー!!
日本トイレ協会公式テーマソングに「日本のトイレからこんにちわ」が選ばれました!!
メディアに出る時はトイレ、掃除に関することが多くなり、それにまつわるイベント関連の常連となりました。
『佐藤満春』が語っています。
これから10年かけて、掃除や洗剤開発をする会社を始めようと思っていると。
佐藤満春と日向坂
秋元康プロデュースの女性アイドルグループ。
2015年11月「欅坂46」結成、欅が読めないことから「けやき坂46」に変更。
2019年2月「日向坂46」発足、日向坂を応援するファンのことを「おひさま」と呼ばれています。
サトミツと日向坂46の出会いは2018年6月、けやき坂46の冠番組テレビ東京の『ひらがな推し』でのことです。
アルバム『走り出す瞬間』のヒット祈願をする企画でMCとして「どきどきキャンプ」が立ち会いました。
サプライズでバンジージャンプをすることになって、現場はすごい壮絶な空気になったそうです。
メンバーのみなさんの奮闘に感動して、撮影終わってカットがかかった瞬間、ずっと我慢してた涙が溢れて止まらなくなって大号泣しました。
本来であれば放送されるはずのないシーンでした。
サトミツの「6歳になる息子がいるから…僕も頑張らなきゃって思って…」と号泣シーンがオンエアになりました。
2019年3月の同番組でデビューシングルヒット祈願の駅伝ロケでもMCとして参加。
第一区終了インタビュですでに号泣、更に全区間走破のゴールでも号泣でした。
日向坂ファンの間で、号泣することを「サトミツ化」「サトミツる」と表現されていました。
号泣した時の「6歳の息子がいるから」というフレーズはオードリーの若林さんがマネしたり日向坂46内でも流行りました。
2019年4月TBS『ニンゲン観察バラエティー モニタリング』でのこと。
オードリー春日さんが交際相手にプロポーズして、番組内で若林さんが号泣したことが放送されました。
この日のツイッターでは「サトミツ化」がトレンド入りしていました。
それからは自身の冠番組で日向坂46の魅力について熱く語ったり、メンバーを呼んだり、ファンの間では「公式おひさま」として知られています。
『佐藤満春』が語っています。
日向坂のみなさんには尊敬と敬愛と感謝ばかりです。
どうぞそれぞれの夢が叶っていきますように。
それを励みに、僕は僕の土俵でがんばろう!という気持ちです。
佐藤満春のお嫁さんについて
Ustream生放送番組『沈黙ディベート』で視聴者参加型ネット放送番組。
キングオブコメディ高橋健一さん、ザ・ギース尾関高文さん、ダブルブッキング川本文太さん。
浜ロン、どきどきキャンプ佐藤の5名で行われている生放送番組です。
2010年11月、放送中に結婚したことを発表しました。
お相手の方は、一般の方なので名前や年齢、職業など一切公表されていません。
2012年11月に第一子となる男の子が誕生したということです。
佐藤満春は町田市に住んでいる?
町田市は東京都の最南端に位置し人口43万人、都心にも行きやすい一方豊かな自然にも恵まれています。
ファミリー層を中心に住みたい街として注目されています。
2013年3月のブログに「25で久我山で一人暮らしを始めて、約10年ぶりに町田に住むことをきめました」とあります。
結婚して子供の環境にいいと思って引越したんでしょうか。
町田盛り上げプロジェクトにも参加されています。
『佐藤満春』が語っています。
現在、Eテレで子供番組の脚本を書かせてもらっているのですが、いずれそこで皆さんと舞台ができないかなと思っているんです。
あと毎年開催している『劇、佐藤満春』という作・演出している舞台を地方で開催したいですと。
佐藤満春の年収がすごい!?
2021年のインタビューで仕事について「放送作家が60、トイレ専門家が20、ラジオのパーソナリティが10、芸人が10くらい」と話しています。
それだけ各方面で様々な仕事をしているのですから、当然稼いでいるのでしょう。
『佐藤満春』の純粋さを散々語っといて何なんですが、やっぱり気になるのは年収ですよね。
あちこち調べてみました。
- 複数の番組を担当している放送作家の年収はだいたい1000万円くらい
- テレビ出演では低くても20万円、深夜番組で3~5万円くらい
- ラジオのパーソナリティ地方局で1回2,3000円、知名度によって数万円~100万円くらい
- You Tubeチャンネル登録者数5万人で広告収入が月3~10万円くらい
- 本の印税は1冊1500円で各1万部売れたら、印税は10%の契約だとすると、150万円くらい
と考えると年収はおよそ2000万円前後かと思われます。
2017年12月の『有吉弘行のダイレクト!?』の番組内で建売住宅を買ったことが公開されています。
町田市南大谷で4100万円の4LDKです。
当時芸歴16年で戸建てを買うなんて、売れてない芸人さんがたくさんいる中ですごい出世ですよね。
まとめ
これまで現在の『佐藤満春』さんに至るまで、ということで調べてきました。
ただのラジオ好き、お笑い好きの青年がちょっとしたキッカケや行動から放送作家、専門家になったという話しでした。
やりがいを見つけ、やり続けるこどで自分の道を切り開いてきたんですね。
自分の向き不向きで諦めないで、自分自身を磨いていくこと、試してみるチャンスを掴み取ることに感慨深いものがあります。
『佐藤満春』さんが語っています。
10年ほど前にファミレスで苦しみながら、どこに出すわけでもなく書き続けていた物語のプロットのかけらがたくさんあります。
自由に使っていい場所を見つけられたことで、ようやく形になっていますと。
これからの『佐藤満春』さんがどう変化していくのか見守っていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。