2021年4月「ラフレクラン」から改名し再スタートをきったお笑いコンビ「コットン」。
2012年に結成当時からのコンビ名を変えた効果があったのか、2022年のキングオブコントでは初の決勝進出を果たし見事準優勝に輝きました。
今まさに勢いのあるコットンですが、ツッコミを担当されている西村真二さんはお笑い芸人としては非常に珍しい経歴を持っていることが話題となっています。
大学時代はミスター慶応に、そして大学卒業後はアナウンサーとしての経歴があるようです。
多くの人が持ち得る経歴ではありませんし、その経歴からどのように芸人になったのか気になりますよね。
今回は西村さんの昔について、とくに慶応大学時代とアナウンサー時代について調査してみました。
コットン西村さんは元アナウンサーだった!
コットン西村さんは大学を卒業した2008年に「広島ホームテレビ」にアナウンサーとして入社しています。
アナウンサーへの道を選択したのは、就職のことを相談した母親から「アナウンサーはどう?」と言われたことがきっかけのようです。
人前で話すことを臆さないタイプの西村さんのことをよく理解しているお母さんの何気ない一言。
自分を理解してくれている人のアドバイスは心強いですよね。
お母さんの一言でアナウンサー試験を受ける決意をした西村さんが最初に受けたのはフジテレビ。
最終試験まで残ったものの不合格となり、その後は名古屋や大阪・九州など10社ほど受けた結果、広島ホームテレビに合格しました。
この広島ホームテレビで3年間アナウンサーとして働くことになる西村さんですが、入社当初は1年間だけ働くつもりだったようです。
詳細はまた後で記載するのですが、入社当初の西村さんは「アナウンサーとしての経験はお笑いに活かせる」と考えており、せっかくアナウンサーになったのに「これで芸人になれる」と胸を膨らませていたようです。
芸人になることを見据えてアナウンサーになったコットン西村さんですが、アナウンサーとしてテレビ出演する経験を積み、人前で話す技術も相当鍛えられたのではないかと思います。
元アナウンサーという強い肩書も得られていますから、西村さんがアナウンサーを選択したことは、芸人になるために欠かせないピースだったのかもしれませんね。
コットン西村さんはミスター慶応?!
コットン西村さんは慶応義塾大学の商学部を卒業されています。
慶応義塾大学に入学し、選んだサークルはなんとダンスサークル。
しかも2つのダンスサークルに所属していて1つはブレイクダンスサークル「Revolve」、もう1つは学内でも有名なダンスサークル「Dancing Crew JADE」です。
後者のダンスサークルはメンバーが100名以上いる大きなサークルで、3学年下には三代目J Soul Brothersの岩田剛典さんが在籍していたそうです。
ダンスに目覚める一方で、すでにお笑いの腕も磨いていました。
同級生とお笑いコンビを組んで、ライブなども行っていたそうです。
まさにイケイケの大学生活を送っていたコットン西村さんは、4年生のとき慶応義塾大学のミスターコンテストに出場しグランプリに輝きます。
大学卒業後は芸人として活動するため就職活動はしない方針でしたが、当時コンビを組んでいた相方の提案で「1年間だけ社会人になる」という約束をしたそうです。
急遽就職活動をせざるを得なくなったコットン西村さんでしたが、この相方との約束によりアナウンサーとしての西村さんが誕生したということになりますね。
アナウンサー「1年で辞めるつもり」が3年続けた理由
当時の相方との約束で「1年だけアナウンサーになる」はずだったコットン西村さん。
ところが大手証券会社に入社した相方さんは芸人ではなく、会社員として生きていくことを望んだそうです。
大手企業で安定している現状にきっと幸せを見出されたんでしょうね。
コットン西村さんはコンビを組む相手がいなくなってしまったため、アナウンサーを続けることにしました。
しかしやはり芸人になることを諦めきれず、2011年に広島ホームテレビを退社して本格的に芸人を目指すことを決意します。
退社した年に、NSC東京に入学した西村さんは同期のきょんさんを見つけます。
きょんさんとコンビを組むことになり、お笑いコンビ「ラフレクラン」が結成されました。
ラフレクランが結成されたのも2011年ですから、この年は西村さんにとって重要な年であったことは間違いないはずです。
コットン西村さんの意外な昔「イカつい坊主頭の時代」とは?!
ダンスにお笑い、そしてミスター慶応の称号まで掴んだ大学時代。
人気者だったのではと思いますが、意外にも寄り付きにくい見た目をしていた時期もあるそうです。
実はもともと高校で野球部に入っていたこともあり、大学でも坊主頭にしていたコットン西村さん。
そのうえ眉毛には切り込みを入れ、ダボダボの服を着ていたため「イカツイ」印象の大学生になっていたようです。
ご本人はご自身の大学生時代を「血気盛んで、すぐにキレる。調子に乗っていた、まさに黒歴史」と振り返っています。
野球部で坊主頭というと、爽やかな感じもしますが、大学でダンスサークルに入ってもなお坊主頭で眉毛もいじっている人は確かに少し近寄りがたい印象がありますね。
しかも、血気盛んだったということであればより一層強面に見えてしまいそうです。
今の爽やかなコットン西村さんからは想像できませんが、そういった時代があってこそ今の西村さんのキャラクターが活きているのではないでしょうか。
まとめ
ミスター慶応、元アナウンサーというキラキラした経歴をお持ちのコットン西村さん。
キラキラした肩書のうらには、イカツイ坊主頭の黒歴史があることも知りました。
近寄りがたい坊主頭の青年からミスター慶応およびアナウンサーになり得る好青年へと変化した昔があったのですね。
変化できた理由には「お笑い芸人になりたい」という夢があったからではないかと感じました。
本気になれば何でも完璧にこなしてしまいそうなコットン西村さん。
今後のお笑い芸人としての活躍に注目です!